(Text : Masatoshi Nagano)

渡英される前、現在ほど英語が社会に氾濫(はんらん)していなかった時代の日本で、どのように英語を勉強されたのですか。
戦争中、福島県の中村というところに疎開していました。当時の日本では敵性語である英語を話したり教えたりすることが禁じられていた、という話をよく聞きますが、私が通った学校では、英語をきちんと教えていたのです。以来、英語の勉強が好きになって。英和と和英の小さい字引をズボンのポケットの中に入れて時間があるときにペラペラとめくったり、特定の日本人の友達とは英語で会話をしたり、といったことをしながら学生時代を過ごしました。
また、英語で話が聞けるという理由で、東京で開かれるキリスト教関係の集まりにもよく出掛けました。特に私の場合は、祖母がキリスト教徒で、父親も日曜学校に通っており、さらにはキリスト教系である立教大学に通う従兄が東京の自宅に下宿するなど、キリスト教に親しみを持ちやすい環境で生まれ育ったものですから。そのうち、現在は廃校になった日本聖書学院という学校に通うように。先生は半分以上が宣教師、授業も英語という環境で寮生活を1年間続けました。
海外に渡られたきっかけは何ですか。
父が交通事故に遭い、私が働きに出なければいけなくなったので、日本聖書学院を中途退学しました。その後しばらくは宣教師の通訳の仕事などをしながら過ごしたのですが、やはり学校に行きたいと希望を伝えると、当時お世話になっていた宣教師の方が、米シカゴ郊外のホイートン大学という、神学では名の通った学校への進学を勧めてくれたのです。
当初は船で行く予定でした。でも渡航する1953年、ちょうど東京で世界伝道者会議というものが行われて、その出席者を運ぶチャーター機が日本に来ていたのです。帰りの便に席があるからということで、そのチャーター機に乗って行くことになりました。羽田から飛んで、給油のために三沢基地とアリューシャン列島のシェミア島に立ち寄って、カナダのバンクーバーに到着。そこから、知り合いの車に乗せてもらって。交代で運転しながら、シカゴまで4日ぐらい掛けて行きました。

エディンバラでの展示会で紹介された日本家屋にて

隣に立っているのは、英国のサッチャー首相(当時)
1カ月を40ポンドで生活する時代
その後、どうして英国に来ることになったのですか。
米国では4年間大学、3年間大学院に通って、修士号を取りました。その後、私がとりわけ関心を持っていたバルト神学の研究で実績のあるエディンバラ大学の神学部に通うことになったのです。
今から50年程前の話です。その頃には私には妻との間に子供がおり、家族4人でのホテル住まいを始めました。エディンバラ大学の学費が、1年で30ポンド。家族4人が何とか住める2 部屋の家賃が、週3ポンド10シリング。ちなみに当時、1ポンドは1080円でした。1カ月を40ポンドぐらいで生活するという時代です。今から思うと、信じられないくらい物価が安いですね。当時はもちろん安いとは感じませんでしたが。
エディンバラの街中は家賃が高く、やがて郊外のマッセルバラという海岸に近い町に越しました。ホテルにはガスのストーブがあるけれど、コインを入れないと起動しない。見付けたアパートには、セントラル・ヒーティングがない。洗濯機がない。冷蔵庫もない。こりゃ大変なところに来たなと思いましたよ。
エディンバラに移ったばかりの頃は、苦労されたのですね。
苦労というよりも、ぜいたくはしなかったという意識です。私たちには、日本での戦時中における食糧難の経験があるでしょう。人間というのは、生活水準が横ばい、もしくはほんの少しでも上がっているときは、まあまあの生活と思えるんじゃないかな。苦労っていうのは、そうした水準が下がるときに感じるものなのではないでしょうか。

ロンドンの日本人墓地で牧師として記念式を行う園田さん
子供を育てた、というよりも、育っちゃった
海外での子育ては苦労されなかったのですか。
エディンバラに着いたとき、長男は5歳、次男は2 歳でした。さすがに順応性が高くて、すぐにスコットランド訛りの英語を話すようになりましたね。もちろん、現地の学校に通いました。「現地校」と「日本人校」という区分けすら、当時は存在しなかったと思います。「現地校」なんて概念は、英国における日本人の人口が一定数に達して日本人校ができてからのことでしょう。
博士課程では、授業に出る必要はほとんどなく、論文を書くのが日課です。学校の図書館に行き、上部にすすが溜まっている本を取り出して、家に持って帰って資料を読んだり、論文を書いたりしていました。研究活動をしながら子供を育てた、というよりも、育っちゃったというのが実感です。
ロンドンで生活を始めたのはいつ頃ですか。
ロンドンには、戦前から「ジャパニーズ・クリスチャン・ユニオン」というグループがありました。ただ、日本語で礼拝を行える牧師がなかなかいないというのが悩みの種となっていたのです。だから私にお呼びが掛かったという形かな。論文を終わらせずに、ロンドンで働くことにしました。主な仕事は、教会での説教と家庭集会への出席です。誰かのお宅に集まって聖書を一緒に読んだりする集会に、よく牧師として顔を出していました。
今ほどロンドンに日本人がいない時代です。当時は、在英日本人の名前を記したガリ版刷りの名簿を日本大使館が発行していましてね。正月になると、その名簿に登録されている方々と一緒に大使館の公邸に招待されて、お節料理をごちそうになったりしていました。今は日本人の数が多すぎて、とてもじゃないけどそんなことできないでしょう。
通訳の仕事はどのようにして始められたのですか。
牧師としては、給与といってもわずかな額しかもらえません。ですから、何かアルバイトをする必要がありました。当時はちょうど、日英の貿易摩擦 *が起きていた時代です。最初に問題となったのは、皮肉なことに、摩擦をなくすために開発されたボール・ベアリングに関する貿易摩擦だったんですよ。それからオーディオ機器、自動車と貿易摩擦の火種が次から次へ移っていって。そうした交渉が頻繁に行われるために、通訳の仕事への需要は常にありましたね。
教会とは全く関係のない、別の仕事をしたいと思っていたときでもありました。牧師の仕事というのは、ある意味で、神と人という縦軸のコミュニケーションです。しかし、キリスト教を象徴する十字架には、横軸もある。横と横を結ぶ、つまり人と人、会社と会社、国と国の仲直りといった作業に携わりたかったのです。横軸がないと、現実的な世界をきちんと理解できませんよね。「神の愛」を説明するためには、横軸、つまり社会的な意味における愛が何であるかを理解していないといけません。幸いなことに、日本で多少通訳の仕事をした経験が私にはありましたから、この仕事に本腰を入れて取り組むことにしました。
ロンドンでは自分のペースで生きられる
貿易摩擦の会議の雰囲気はどのようなものでしたか。
私は英国の在住者でしたので、交渉の席では英国側の通訳として雇われることが多かったです。ただ日本側が通訳を用意できないときは、日英の両方の通訳を兼任するという状況もありました。交渉内容が漏れることを避けるために、この種の会議では基本的に事前の打ち合わせは行いません。ですから、まあ大変でした。
実際のところ、交渉のためにわざわざ日本から渡英するような方は、通訳なしでもある程度は英語を理解できます。ただ通訳を挟むことで同じ内容を2 度聞く、つまり考えをまとめる上での時間稼ぎをすることができるわけです。英語が分かる人に向かって通訳するという、少し奇妙な側面を持つ仕事でした。
なぜロンドンに永住しようと思ったのですか。
貿易摩擦の会議は色々な場所で行われます。例えば、今年ロンドンで開催したら、来年は日本。その次は日本と英国の中間ということで、メキシコになったりする。そんな風に世界各国を飛び回るような仕事を続けるに当たって、ロンドンは移動するのに非常に便利な場所なのです。
また英国ですと、年を取ってもくつろげるでしょう。日本に帰ると、親戚(しんせき)付き合いとか面倒くさいですよね。日本に帰省する度に、家内と「早く英国に戻ろう」とよく愚痴ったものです。英国にいれば、好きなことを考えて、好きなことを言える。言い換えれば、自分のペースで生きられる気がするのです。年を重ねてくると、医療費が無料というのも安心ですしね。
健康を保つ秘訣を教えて下さい。
あえて言うとすれば、筋肉って使わないと弱くなってしまうでしょう。体は使わないと駄目です。例えば、私は白内障の手術をしていて、目の調子がよくありません。だから目を大事にする、という考え方が一つにある。そのとき、私は「やがて見えなくなるかもしれない。だから、今見られるものは全部見る」という考え方をするのです。今やれることはどしどしやる。コンピューターの操作も色々と調べながらできるようになりましたし、周囲を不安にさせながらも、高枝の伐採なども自分でやっています。やれることをできるうちにやる、というのが丈夫でいられるための秘訣(ひけつ)と言えるのかも知れません。
海外生活を送る日本人に何かアドバイスをいただけますか。
外国で生活を送ると、最初は何をするにしても難儀だなと感じるものです。しかし、しばらくたつと、海外生活もそれほど捨てたものじゃないな、とその楽しみ方が分かってきます。ところが、楽しみ方が分かってきたなと思った途端に、またけしからんと思う出来事に遭遇する。そんな具合に、まさにらせん状態で毎日が進んでいくのが海外生活だと思うのです。そうやってぐるぐると回っているうちに、住む国の本当の良さが分かってくるのではないでしょうか。
* 1960~80年にかけて、日本の経済は高度経済成長を遂げた。この期間に、円安状態のままで日本の高品質の商品が米国や欧州に流れ込んだために、日本は米英両国を始めとする当時の先進国と貿易摩擦を起こしていた。



在留届は提出しましたか?





ロンドンにもある、今はクリスマス・ショッピングで賑わう大型デパート。革新的なデザインを広める建築事務所フューチャー・システムズが設計を手掛けた。 
街の象徴的な存在となっている、エディンバラ随一の観光名所。岩山の上に立っていることから、キャッスル・ロックとの別名を持つ。大晦日及び元日もオープンしている。
最初の建設から約2000年の歴史を誇る古城。19世紀に当時の人気建築家ウィリアム・バージェスが現在のビクトリア様式に改築した。 
売場総面積が10万平方メートル以上あるという、ロンドンで最大の大型デパート。クリスマス時期のイルミネーションと、年末年始のセールはもはやロンドンの風物詩。
英国人の間で最も愛されるクリスマス・ストーリー、「クリスマス・キャロル」などの名作を残した、文豪チャールズ・ディケンズの小説を原作とする心温まるミュージカル。
サウスバンク・センターの裏に、期間限定で特設テントを設置。サーカスとキャバレーが一体となった、大人の遊び。 
現英国王室の開祖と言われるウィリアム征服王によって、12世紀前半に建設された要塞。ロチェスターは、この城を中心としてできた城下町となっている。
欧州で年末年始にかけての恒例行事となっているのが、パントマイムという大衆演劇の観賞。英国の児童作家J.Mバリー作の人気作品「ピーターパン」が上演される。 

















赤ワインにシナモンやチョウジなどの香辛料を効かせた、ドイツのクリスマスには欠かせないドリンク。マーケットを訪れたら、まずはシナモンの香りに誘われて、湯気の立つ屋台でゴクッと1杯いかが?冷え切った体を芯から温めてくれる。グラスはたいていデポジット制だが、地域、年、屋台によってデザインが異なるので、記念に購入するのも良いだろう。
屋台の中でも目を引くのが、凝った細工の施されたツリー用のガラス玉。その昔、飾りとして一般的だったリンゴや卵に代わり、この玉が登場したのは中世の頃。ガラス工芸で知られるテューリンゲンのガラス職人たちが、流行らなくなったネックレスに代わる新商品として考案したのが始まりだった。見ているだけで心ときめくガラス玉、おみやげにどうぞ。
キリスト降誕の場面を表すクリッペは1223年、フランシスコ修道会の創設者、アッシジの聖フランチェスコがイタリアのグレッチョという街で生きた動物を使ってキリスト生誕を祝ったことに由来する。マリア、ヨゼフ、キリストの3人を軸に、受胎告知の天使や羊飼い、羊、雄牛、ロバなどが加わるものもある。
段々重ねのろうそく立ての頭にプロペラが付いたようなクリスマス・ピラミッドの発祥は、18~19世紀頃、エルツ山地の木工職人たちの発案で作られたと伝えられる。ピラミッドの各段には楽園やキリスト生誕、天使などをテーマにした場面が像で表現されている。周りのろうそくが灯されると、像や一番上の輪が回転する仕組み。



世界最高峰のオーケストラ、ロンドン交響楽団の演奏で収録した久石譲のベスト・アルバム。インターネットの人気投票を参考に収録曲を久石氏自身が選んだ。「メロディー+シンフォニー」から生まれたタイトル「メロディーフォニー」の通り、メロディアスな美しい楽曲がラインナップ。昨年発表した現代音楽の作家としてミニマル・ミュージックを強く意識したアルバム「ミニマリズム」の対とも言える作品。

定番料理のフォンデュは、通常2人前が基本だが、ここではメニューのうち3種類が1人前からサーブ可能ということで、チーズ・フォンデュ「モティ・モティ」と、ビーフのオイル・フォンデュにトライ。前者にはパンとジャガイモ、後者には7種類のソースが付いて、量、味ともに飽きないよう工夫されている。 付け合わせにお勧めされた千切りポテトの揚げ焼き、「レシュティ」(3.50ポンド)も自慢の一品で、カリッとした香ばしさが後を引く、危険なおいしさだ。
バラエティーに富んだ肉料理が楽しめるのは、2人前から頼める
主食は、「インジェラ」と呼ばれる厚みのあるクレープ状のパン。右手だけを使って少しずつちぎり、ラムの煮込みや生でいただけるビーフ、ほうれん草のオリーブ・オイル炒めなど、好みのメニューを包んでいただくのが伝統的なスタイル。それらが一同にプレートに盛り付けられた様子は、色鮮やかで見た目にもゴージャスだ。
室内を見渡すと、壁には風刺漫画家による政治家ポートレートが並び、本棚には彼らの自伝本がサイン入りで収められている。食事も長年愛されるメニューがずらり。キャベツの肉包みは、ゆっくり煮込まれた優しい味を、サワー・クリームの酸味とベーコン & ソーセージの塩気が引き立てる。前菜のニシンのマリネ(5.25ポンド)は、脂の乗った大きな切り身がワインと良く合い、すんなり胃袋に収まってしまう。他にも、煮込みシチューの「グヤーシュ」や子牛肉のカツレツなど、東欧のソウル・フードが堪能できる。
イート・インの常連客に一番人気があるのは、ライ麦パンで頂くオープン・サンドだ。トッピングは常時25~30種類ほどが用意され、スモークド・サーモンやニシンといったおなじみのシーフードを筆頭に、野菜やお肉系も揃う。スウェーデン料理として広く知られるミート・ボールやノルウェー産のサラミなど、各国を代表する食材が満載で、気軽に北欧の味を満喫できるのがうれしい。1月からは、野菜やベリー類をふんだんに使った新メニューのブレックファストも登場するので、ぜひお試しあれ。
日中は、グルジア名物の揚げパン風パンケーキが豊富なカフェとして重宝されるが、ディナー・タイムには、前菜と週代わりのメインが楽しめるアットホームなレストランに早変わりする。ずらりと並ぶアンティークの電話やシックなソファー、さりげなく飾られたアートなどは、オーナーがグルジアから買い付けたもの。個性的な空間を作り出していて、地元のアーティストたちが数多く訪れるというのにも納得だ。
串焼きのラムは絶妙の焼き具合で、柔らかくジューシーな仕上がり。締めは、アラブの一口パイ菓子「バクラバ」に、大盛りのフルーツ、コーヒーと、ボリュームたっぷりなので、このセットはゆっくりできる日のランチやディナーにお勧めだ。スタイリッシュなバーや、クッションを重ねた居心地の良いラウンジは夜に立ち寄りたい。
定番メニューは2種類あり、「ダディーD」はブラック・ビーンズを、「ファヒータ」は玉ねぎなどの野菜を使っているのが特徴。それぞれライス、肉の種類(チキン、ビーフ、ポーク)、サラダの内容などをチョイスして好みの一本をカスタマイズすることができるほか、野菜のみの完全ベジタリアン・ブリトーにすることも可能。サルサは3段階の辛さのレベルがあり、辛いものが苦手な人にはライムたっぷりのマイルド・サルサがお勧めだ。できたてをオープン・エアのテーブル席でいただけば、体はポカポカ、お腹はいっぱい。冬の寒さや買い物疲れも吹き飛ぶはず。
ねばねばとした質感が特徴の煮込み料理「モロヘイヤ」(6ポンド)や、ジューシーな骨付きラム肉を堪能できる「スペシャリティ」(6.50ポンド)など、ボリュームたっぷりの料理の数々は、どれもマイルドな味付けで、ライスとの相性も抜群。野菜を使ったメニューも充実していて、特に刻みパセリとミントがいっぱいのサラダやまったりとしたフムスは、軽くても奥の深い味わいに、ついお代わりを頼んでしまったほど。深夜までオープンしている上に、ほぼすべてのメニューが持ち帰り可能というフレキシブルさも魅力だ。


炊飯器で炊く場合は、
形は日本米に近い、丸みを帯びたお米です。粘り気があり、味も日本米に近く、英国ではライス・プディングを作る際に使われます。これを利用すればおいしい雑炊やお粥も作れるので、私たち日本人にとっては強い味方です。お米といえば、糖質やたんぱく質が主な栄養素ですが、実はビタミン、ミネラル、食物繊維なども微量ながら含まれています。


いわゆる蕪(かぶ)のことです。よくスーパーで見かけるのは、上半分が紫色で下半分が白いものが多いですが、お日様にあたった部分が紫色になっています。この根菜、実はビタミンCが豊富。また、蕪に含まれているジアスターゼ(でんぷん消化酵素)のお陰で、蕪の煮物は、胃の調子が良くないときなど、優しく刺激の少ない食べ物として昔から食されています。


大きなマッシュルームです。肉厚で食べ応えがあり、旨み成分(アミノ酸)を多く含みます。ビタミンB群やカリウム、食物繊維も豊富。また、ビタミンDも多く含まれ、調理する前に少しお日様に当てると、紫外線の影響でさらにビタミンDが増えます。日照時間の少ない冬には、体内でのビタミンDの生産量が不足しやすくなり、骨粗しょう症やうつ病などの原因にもなるようですので、これからの季節の頼れる食品と言えるでしょう。


リークはポロねぎとも呼ばれます。日本でもこの頃、手に入りやすくなってきたようなので、ご存知の方も多いのでは? 主な栄養成分としては、カロチン、ビタミンB群、葉酸、カルシウム、鉄、カリウムなどが挙げられます。ねぎの辛味成分は、にんにくや玉ねぎなどにも含まれるアリシンというもので、血行を良くし、体を温め、疲労回復にも役立ちます。


先のとがったキャベツのことです。英国で売られているキャベツの中では、日本のキャベツに一番近いといえるでしょう。トンカツに添えるのにも、このキャベツの千切りでまず大丈夫。キャベツはビタミンCやビタミンU(別名キャベジン)、カルシウムを始め、その他のビタミンやミネラル、食物繊維も豊富です。
バターナッツ・スクオッシュは適当な大きさに切り、皮をむき、ワタと種を取り除く。耐熱容器に入れてラップをし、電子レンジで7分加熱する。バターナッツ・スクオッシュから出た余分な水分は捨て、水気を飛ばす(電子レンジの代わりに、ひたひたの熱湯で茹でてもOK。その際はしっかり水気を切る)。熱いうちにボールに移し、マッシャー、又はフォークでつぶす。
ひょうたんの形をしたかぼちゃです。日本のかぼちゃに比べて皮が薄いので、包丁が入れやすく、調理がしやすいのが特徴。かぼちゃはその色からも分かるように、カロチンが豊富で、ビタミンEも多く含んでいますので、アンチエイジングにもいいですね。食物繊維も豊富です。


火~日 10:00-17:00(水20:00まで)、月休
火~土 12:00-19:00、日月休
月~土 11:00-翌1:00、日12:00-23:00
月~土 9:00-23:00、 日10:00-23:00
お土産にお薦めなのはカフェオレ・ボウル(13ユーロ~)。たっぷり入ったカフェオレにクロワッサンを浸して食べるのがフランス流!
店内で購入したワインは2階の本格派フレンチ・レストランに持ち込めるので、小売価格でワインを楽しめますよ!
毎朝市場で仕入れる新鮮な食材を使っています。大型船と違い、ひとりひとりの料理にまで目が行き届くので、繊細な味わいを楽しめますよ。
ワイン初心者には飲みやすいMuscadet(ミュスカデ、白)やCahors(カオール、赤)がお薦めだね。
店の主旨に賛同したブランドが、通常よりも安い価格で商品を提供してくれています。随時変わるディスプレーにも注目して!
ソーセージ、豚肉、ジャガイモ料理など、定番のドイツ料理はもちろん、ケルンの伝統的な食文化を伝えるこの店は、他では食べられない郷土料理も充実している。
ポメス(フライドポテト)やカリー・ブルスト(カレー粉がかかったソーセージ)からシュニッツェルまで、お手頃価格で食事も楽しめる。
レーズン・パン(Rosinenbrötchen)や、ずっしりと重い全粒穀物パン(Vollkorn-Roggenbrot)が特に人気。迷ったときは店員さんに希望を伝えて。彼らはパンのプロフェッショナル。
それぞれのお客様の「お気に入りの一足」を作り出すことがTrippenの願い。お客と長いお付き合いをできるようにと、素材には特にこだわっている。



1972年生まれ、京都市立芸術大学、IAMAS国際情報化学芸術アカデミー卒。フランス国際マルチメディア見本市「milia2001」新人賞受賞を機に渡欧。デザイン・スタジオ「Team Chman」(フランス)を経て、ECAL(スイス州立ローザンヌ美術大学)メディア & インタラクション・デザイン科で教鞭を執る。文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品賞など受賞。現在、多摩美術大学などで情報デザイン非常勤講師を務めている。 

舞台演出家、俳優、作家。劇団「コンプリシテ」創立者。1957年8月25日生まれ、ケンブリッジ出身。ケンブリッジ大学英文科在籍時に、同大の演劇部「フットライツ」で、スティーブン・フライやエマ・トンプソンといった、後に英国の演劇界で活躍するメンバーと共に演劇活動に携わる。その後パリへと赴き、演劇教育の第一人者ジャック・ルコックに師事。村上春樹の短編小説を基にした舞台作品「The Elephant Vanishes」の演出を手掛けるなど、日本文化への造詣も深い。11月4日より、ロンドンの多文化施設 バービカンにて、「Shun-kin」を上演。 





常時このブレンドで、エスプレッソからカプチーノまですべてのドリンクを作り出す。 一番人気はオーストラリアで定番のフラット・ホワイト。コーヒーとミルクの正しい割合を知っているとオーナーが胸を張るこちらは、クリーミーでありながら、コーヒーの引き締まったフレーバーがしっかりと残る。店頭に並ぶスイーツは店で焼かれたフレッシュ・メイド。フード・メニューも豊富で、イート・インとテイク・アウト、2つのスペースを用意しなければ回らないほどの繁盛ぶりだ。
お客さんが引きも切らずにやって来るが、手際良い親切なサービスが印象的で、イート・インの場合は日本の様に水のサービスまで。家の近所にあったらいいのに、という常連客の感想にも納得のお店だ。評判の手作りサンドイッチは、ランチ・タイムには完売してしまうので、早めの時間帯に訪れるべき。ロンドンのロースター「スクエア・マイル」の豆の挽き売りもしてくれる。250グラムで6.50ポンドから。
豆は、常時3種類あるエスプレッソのほかに、カフェイン抜きのもの、時折変わるスペシャル・ブレンド、さらに日替わりのオリジナル・ブレンドが。ドリップ・コーヒーのブレンドは季節毎に変わり、淹れる方法もフィルターを始め、エアロプレス、サイフォンから選べる本格派だ。エスプレッソには味覚を中和するためのホワイト・ティーが添えてあり、コーヒーの味わいを最大限に堪能することができる。ほっとするまろやかなカプチーノは、泡の描く模様に職人技を見る見事な逸品だ。
その名を店名に持つオーナーは、もちろんニュージーランド出身。ホームシックになった南半球人は皆ここに駆け込んで、故郷の味に一息つくのだとか。 細長い店内は、ソーホーという場所柄、いつも混雑しており、カフェというよりはざっくばらんなバーのような雰囲気も醸している。「トーステッド・バナナ・ブレッド」や、アボカドのスライスが載った「フムス・トースト」など、他所ではあまり見かけないフード・メニューもあるので、気になる方はトライしてみては。姉妹店として同じくソーホーに「Milk Bar」(3 Bateman Street, W1D 4AG)もある。
まるで化学の実験テーブルの様な殺風景なカウンターだが、そこから生み出されるのが、ふんわり優しく後味すっきりの、キレのよいフラット・ホワイト。ハイストリート・チェーン店のコーヒーに慣れてしまった舌にはうれしい驚きだ。切り盛りするスタッフたちは、「コーヒーのプロ」というより「コーヒーおたく」と呼んだ方がしっくりきそうなコーヒー好きばかりで、「家でおいしいコーヒーを淹れるには」と熱く語ってくれたりも。そんな彼らのお勧めは、「スクエア・マイル」の豆と、日本の「ハリオ」の円錐形ドリッパーだ。
オレンジとブラウンを上手に組み合わせたレトロなインテリアの店内では、オーガニック・フェアトレードの生豆を、自分たちで毎日少量ずつローストしてブレンドするというこだわりぶりだ。ブレンドは数週間おきに変わり、オリジナル・ブレンドの豆を250g 購入すると、1杯のコーヒーが無料で頂ける。 泡にソフトな円が描かれたダブル・ショットのラテは、見た目の柔らかさとは逆にパンチの効いたテイスト。ごまやオート麦を使った手作りビスケットや、家庭的なおやつとしてオーストラリアなどで親しまれている、チョコとウォール・ナッツをたっぷり載せた「アフガン・ビスケット」というスイーツなども用意されている。
人気のカプチーノは、お砂糖が入っていたの?と勘違いしてしまうほどミルクの甘味が十分に生かされた口当たりの良い豊かな味で、すべての工程にこだわっているというオーナーの言葉にも納得だ。ショー・ケースには、ボリューム満点のジューシーな手作りサンドイッチが並び、腹ペコさんも大満足。コーヒーのお供には、チョコとピーナッツ・バターがマーブル模様を描く、ころんと可愛いオリジナル・スイーツを。コーヒーに良く合う濃厚な甘みに、日々のストレスもすんなりほどけていきそうだ。
豆はコベント・ガーデンにあるロースター、「モンマス・コーヒー」のものを使用。小さな黒板には「今日のお勧めコーヒー」が手書きされている。フラット・ホワイトが2ポンドと、中心街にありながら良心的なお値段なのも高ポイントだ。窓辺にはケーキやフォカッチャのサンドイッチが並び、コーヒーだけでは済ませたくない気分に。何気なく置かれたケーキは仏レストラン「ビランドリー」から、風味豊かなサンドイッチはケンジントンのベーカリー「クラークス」から毎日仕入れているそうで、まさに女子のツボをついたチョイス。濃い目に淹れた香り高いコーヒーとの相性もぴったりだ。
メニューは、日替わりのフィルター・コーヒーにカフェ・オ・レ、エスプレッソ、そしてエスプレッソ・ベースにスチーム・ミルクを加えたシンプルなドリンクのみ。フレーバー・ シロップなどは扱わない代わりに、コスタリカ産サトウキビを丹念に煮詰めて仕上げたブラウン・シュガーを用意。コーヒーにパーフェクトな調和をもたらしてくれる。アイス・ドリンクも、濃厚で水っぽさのない、驚くほどバランスの良い味だ。






