2012年8月に来英した直後から、ライブを望む声がロンドンの至るところで聞かれていた。
それから実に2年以上が経過。人々の「なぜ」「まだ」がいまだ衰えを見せぬ中、
ついに2015年1月、ロンドンのカドガン・ホールでライブが行われることが決まった。
歌手、今井美樹。このロンドンで2年間、一人の女性として、
歌手として、何を考え、どのように生活してきたのか。
ロンドン市内のオフィス・ビルで、来英直後からライブ決定に至るまでの心境について聞いた。
(本誌編集部:村上 祥子)
MIKI IMAI
1963年4月14日生まれ。宮崎県出身。高校卒業後に上京。83年、女性ファッション誌にてモデルとしてデビュー。翌84年から女優としての活動をスタートする。86年「黄昏のモノローグ」で歌手デビュー。その後は数々の連続ドラマに主演する一方で、「瞳がほほえむから」(1989年)、「PIECE OF MY WISH」(1991年)、「PRIDE」(1996年)などの楽曲が大ヒットとなる。2012年8月、家族とともに来英。翌13年にはユーミン(松任谷由美)のカバー・アルバム「Dialogue」をリリース。14年5月に日本全国6カ所でコンサート・ツアー「Dialogue」を実施した。ガラスの扉が開け放されたオフィス・ビルの小部屋。
ひんやりとした風にのって、シャッター音の合間から微かなハミングが聴こえてきた。
その場の空気を一瞬のうちに明るく染め変えるような笑顔を浮かべて、
彼女は流れるように次々とポーズを決めていく。
その口元が、小さく動いていた。
「写真撮影は苦手。だからいつでも音楽をかけているんです。
音楽がいつも私を助けてくれる。音楽がないときには、自分で歌っちゃうの」。
歌手、今井美樹の生活には、いつも音楽がともにある。
転がり続けてここまでたどり着いた
2012年8月、今井美樹は夫でミュージシャンの布袋寅泰氏と一人娘とともに、「一家の長の夢」だった英国へとやって来た。49歳という年齢から始まった初の海外生活は、当時も今も「アップアップ」。「日常があるのでなんとか前に進むしかなくて、転がり始めたら、今のところはここまでたどり着きましたという感じですね」。「自分は自分のペースでゆっくりやっていくしかない」、そう思っていた彼女にとっての一番の気がかりは、当時10歳になる娘さんのことだった。
「一番心配だったのが娘のことでした。娘がこの国に、この街に、この学校に慣れてくれるだろうか。もちろん、色々なことがあるでしょう。でも学校に行きたくないとしぶったことがなかったんです。初日から「友達ができた!」って帰ってきて。こちらに来る直前、日本で英語を集中して学ぶ環境があったんですけれども、それでも大変だと思うんです。友達にも恵まれたし、学校が非常にサポート力のあるところだというのも大きいでしょうが、新しい場所での学校生活を、自分の中で抱きしめてくれている。彼女から泣き言が出なかったということが、何よりも私たちの背中を押してくれましたね」。
現地校に通い、あっという間に英国での生活に慣れた娘さん、今ではこんな笑い話も。「夫は言いたいことがすごくはっきりある人で、それを自分の言葉で言うから、英語がとても人に伝わりやすい。でも娘の場合は学校で習ったり、友人と話す生きた英語。ですから夫が自分の友だちに会って話し掛けたりすると、『ごめんね。パパ英語が下手だから』なんてこっそり言うんですって。それで夫が『俺、あいつに英語が下手だからって言われた』なんて落ち込んだり(笑)」。
娘さんが充実した日々を過ごしていることに加え、もう一つ、今井さんの英国生活を支えたのが、来英したばかりのころの天気だった。緑濃い木々と真っ青な空の色のコントラストが視界を鮮やかに彩る夏の終わりから秋の初めにかけての日々。「キラキラとした美しい光」が、「旅人」ではなく「生活者」としてロンドンに根を張った今井さんを優しく包み込んでくれた。
「今お借りしている家の庭がとても好きなんです。最初に来たころ、庭が私たちを受け入れてくれたというか。プラムやリンゴがたわわに実っていて、それがものすごくおいしくてびっくり。朝起きて、娘に『プラムとっておいで!』って言って朝食やおやつに出したり、去年の夏にはリンゴでアップル・パイを作ったり。整然とした作られた庭じゃなく、ワイルド。季節を感じるの。葉が落ちたと思ったら春になって若葉が出てきて、徐々に花が咲いて――季節がめぐって、自然が生きていること、自分たちも一緒に生かされていることをすごく感じる。東京に来てからずっと仕事ばかりだったから、今はロンドンでの暮らしが非常に人間的だと思うし、娘にもそういうことを感じられる人になってほしいですね」。
かつて自分とともにあった音楽たち
自宅があるのは、子供のいる家庭が静かに日常生活を営む住宅地。家事をこなし、娘さんの学校の送り迎えをし、「渋滞のエリアを運転するときに近道を教えてもらったりするだけでハッピー(笑)」という、「ごく普通の毎日」を慈しむように暮らす今井さんだが、その一方で、やはり日本から遠く離れた海外の地で生きる孤独感や厳しさを感じることもあった。
「娘は学校、夫はスタジオに行っていて、昼間一人でキッチンにいたりすると、正直、寂しいなと思うこともあったんです。言いたいこともなかなか伝わらないとなると、とりあえず外へ出てみようという気にもならないんですよね。そういうときには、新しい音楽を聴く元気もなくて、自分が歌い始めた80年代後半ごろにすごく好きで聴いていた曲を聴くことが多くなるんですね。そうすると自分の気持ちが踊るんですよ。自分自身も若くて、アグレッシブに色々なことにトライしていたあのころ一緒に歩いてきた音楽って、今もすごく自分の心を湧き上がらせてくれる。キッチンで洗いものしながら踊りまくったりして(笑)、すごいな音楽って、と改めて感じました」。
そして何とか前に進み続けて1年が経ったころ、再び生活のリズムに変化が訪れる。昨年夏から今夏にかけて、日本の女性誌の表紙と巻頭のファッション・ページを担当することになった今井さんは、ほぼ2カ月に1回の割合で日本に戻っては撮影をこなした。それに加え、昨年末には敬愛するユーミンのカバー・アルバム「Dialogue」をリリース。プロモーション活動なども行うことになり、ロンドンに来る際に一度は仕事のモードが断ち切られ、歌手、今井美樹としての立場よりも家庭人としての立場を優先してきた生活から、「急にスイッチを入れてエンジンをバーってふかし続けないと前に進めない」状態へと追い込まれた。
「一番大事な、自分を助けてくれる大好きな音楽の中に自分自身が気持ち良く入りたいのに、気持ちも体もなかなかついていかない。本当にやりくりするのは大変でした。2カ月に1度は必ず娘を置いていかなければならないというストレスも大きかったですね。これまで日本でもしてきたことですが、この距離で続けるのは思いのほか大変でした。ただ、その忙しい中で色々な仕事をやらせていただき、自分も頑張ったし、スタッフも一生懸命サポートしてくれたことが前に進む助けになってここに至っているので、きっとその流れからもロンドンでライブをするということに気持ちがつながっていったんでしょう。その意味でも去年一年は大きな意味があったと思います」。
「職業人としての責任」を胸に
来年1月末、ロンドンのカドガン・ホールで、来英後初となるライブ・コンサートが行われる。決意するまでの2年という時間。ロンドンでの日常に慣れるために「アップアップ」し、ロンドンと日本という距離を背負いながら仕事に忙殺されつつも、常に一歩一歩前進してきたこと、そしてその中で昔愛した音楽の大切さを改めて感じたことから、ゆっくりと自分の中の気持ちがロンドンでのライブへと傾き始めていく中で、今井さんには乗り越えるべきもう一つの壁があった。「ロンドンに来て、ライブを再開するならば絶対日本から始めたかったの」――頑ななまでにそう決めていたという彼女の心にあったのは、2011年3月に起こった東日本大震災だった。
出産後、比較的すぐに仕事を再開したという今井さん。年齢のこともあり、それまでと同じようには体力ももたず、仕事に子育てにと多忙な日々を過ごすうちに、本来「音楽のなかにいられたら幸せ!」と思っていたのに、いつのまにか「ねばならない」という気持ちにがんじがらめになっていた。そんなときに、震災があった。「デビュー25周年を迎えて、4月の前半にリハに入って後半からツアーがスタートすることになっていたんです。しかも11年ぶりにドラマに出演していて、最終回を撮っている最中。被災地に行きたいとか、娘のところに戻ってあげたいとか、気持ちがあちらこちらに飛んでいました」。そんなとき、自分が担当しているラジオ番組のディレクターから、様々な番組のナビゲーターが「PIECE OF MY WISH」という彼女の曲を頻繁に流していることを聞いた。どんなときでも自分自身を信じてほしいと、聴く者を包み込むように、力強く歌われるこの歌、実は今井さんにとっては「背負うのが重くなっていた」その曲だった。
「『PIECE OF MY WISH』はもう皆の曲だから、皆が大好きで愛してくださる曲だからこそ、背負うことが苦しくなっていました。数年間、どうやったらいいかずっと悩んで、チャレンジしては「うーん、越えられない」、でも皆が一番聴きたい曲……。そのギャップに悩んでいましたが、ディレクターからその話を聞いて、ああ、歌わなきゃいけないって思ったの。この曲は必要としている人たちの曲で、そういう人たちの心に灯火を灯すような存在になってくれているのだとしたら、その曲を持っている人間として責任を持って歌わなきゃいけないって、本当にそう思ったんですよね」。
「音楽が好きだから音楽をやっています」と語ってきたが、歌手としての自分の立場を「職業人」として明確に認識するようになった。「やっと社会に恩返しができる。やっと歌を歌う人間としての意味を見出して、その気持ちを胸に音楽をやっていくんだと思えるようになった」、その矢先に来英が決まった。「パツンと気持ちを断ち切られてしまった」からこそ、ライブは日本で待ってくれている人たちの前から始めたかった。そして今年5月、日本全国6カ所でツアーを敢行。2年越しの「責任」を果たした翌朝に、一通のメールが今井さんの元に届く。「目を覚ましたら、布袋さんから『この日を待っていました』っていう長々としたメールがきていて(笑)。こちらの人たちは、君がライブをやるのを待っている、と。やっぱりその気になりますよね」。今井美樹のロンドンでのファースト・ライブが現実的に動き出した瞬間だった。
日本語を丁寧に歌いたい
ライブでは、今井さんのこれまでの代表曲や、カバー・アルバム「Dialogue」からの楽曲が歌われる。新曲や英語の曲を歌おうとは「考えたこともなかった」。耳慣れぬ英語の洪水が意味を成す前に流れていく中で、耳ではなく、心の中にすっと入り込んでくる母国語の言葉たち。昔聴いた日本の曲の数々が、ロンドンでの2年間を支えてくれた今だからこそ、英国に住む日本人が「距離がある中で、日本の『何か』を待つ」気持ちを、身をもって分かるようになったという。「今井美樹じゃなくても良いのかもしれない。ただ、この時間、日本語の歌を聴けて良かったと思っていただければ。日本語で歌われている曲を、丁寧に、日本語で伝えよう。そうすることで、ライブを観に来てくださった方たちが、何かを思い起こしてくれて、気持ちがリフレッシュできたり、明日も頑張っておいしいお弁当を作ろうって思ってくださればうれしいです」。
ライブのメンバー構成は、今井さんに加え、「Dialogue」でサウンド・プロデューサーを務めたトニー賞受賞ミュージシャンのサイモン・ヘイルと、彼が選んだ4人のカルテットの計6人。「Dialogue」の制作、そしてその後日本で行われた「Dialogue」ツアーで共同作業を重ねてきたサイモンの存在とその共同作業の行程もまた、現在の今井さんを力強く支えてくれている。
「最初にサイモンたちとレコーディングを始めたのは、オーナーさんが手作りでマイクを作っているような、いかにも英国らしい、小さなスタジオ。まずはマイクを何本か立てて、どのマイクが良いかを決めるんですが、そのときにオーナーのフィリップが、通常日本でのレコーディングのときには選ばれることのない、いつもより声のLOWもしっかりと録れるタイプのマイクを選びました。それは、始め戸惑いであり、でもとても新鮮な出来事でした」。今井美樹の歌声と言えば、どこまでも澄み渡る高音の印象が強いが、その一方で普段の声のトーンは低めで、胸の奥に心地良く響くまろみを帯びている。どちらが良いというものではない。ただ、真ん中から下の成分が含まれる「ふくよかな声」が選ばれたことが、「あなたのその声でいいんだよ」と言われたようで新鮮だったし、サイモンたちも「その声に沿って」演奏してくれた。
その後、半分ほどレコーディングをしてから日本で歌入れをし、ロンドンで残りの作業を行ったが、ロンドンと日本、そして同じロンドンでもスタジオによる違いが大きいことに驚かされたという。「かつて何度もロンドンでのレコーディングをしてきました。でも当時は、音作りは基本的に日本で作って、それをそのままロンドンのスタジオに持ってきてやるというスタイル。それが今回はすべてロンドンのシステムでレコーディングを始めて、日本そしてロンドンの別スタジオでまた歌を録る……。同じ『ロンドン』レコーディングでも過程が違ったことで、色々気付いたことがありました。日本ではプロデューサーとかアーティストによって違いが現れるけれど、こちらはスタジオに色があるのかもしれない。だからこそロンドンにはこんなにも色々な音楽があって、それがアーティストの特徴にもなっているのかなという気がしました」。暮らし始めたからこそ出会えたスタジオで見つけた新しい発見。この経験を通して、これだとこだわり過ぎるのではなく、「日常の中でロンドンのあちらこちらに散らばっている色々な音」でチャレンジしていきたいと感じるようになった。
ツアーではまた、共通言語がないことで学んだこともあった。「それまではきっと、こだわっていることを全部やろうとしていたんですよね。だけど、こちらの考え方を理解しようとしてくれているけれども、国の違いなどで伝わらない部分があるのだとしたら、そこはこだわっても仕方がない、その代わり、ここだけは大事にしたいと思うようになりました。だんだんやりたいことが明確に、コンパクトになってきたんです。あとは自分がステージに立つことだけ頑張っていれば、彼らが本当に美しい音楽を奏でてくれるから」。
そうして生まれたステージは、これまで今井美樹を見つめ続けたファンやスタッフにとっても「何かが今までと違う」と感じられるものだったという。「『何かが違う』って、作為的じゃなくてリアリティーがあると思うんです。変えようとしたわけじゃなく、ただすごく丁寧に、大切にやろうと思ってやった結果。うちのスタッフが、『今までで一番好き』って言ったの。それは多分、この2年という歳月の中で見つけた、日常の小さな幸せだったり、何でもないことの積み重ねだったり、この国の持つ豊饒さだったり、そこから生まれるミュージシャンたちの音楽の温度だったり、色々な要素がたまたま一つの形になって私をふわーっと持ち上げてくれたんだと思うんです。それを経験してきたということがすごく大きい」。
ロンドンのライブでは、今井さんに加え5人のミュージシャンというシンプルな構成になるだけに、試される部分も多い。「バンドの数を減らすということは、オリジナル通りにはならないわけだから、ある意味自らに足枷(あしかせ)をはめるわけです。でもその一方で自由に解釈できるということだから、すごく楽しい。サイモンが様々な色彩を付けてくれることを信じていますし。皆さんがきっと待ってくださっている曲も当然やりますし、せっかくサイモンやカルテットと一緒なのだからトライしてみたい曲も数曲あります。ヒットチューンだけじゃなく、ふくよかな音楽をやっていきたい。せっかくあんな温かい音を出す素敵なホールでできるんですから、その素晴らしい音の響きの中に自分がいたいですよね」。
「何か」が分からないままに自由でいたい
カバー・アルバムをリリースし、日本でのツアー、そして来年1月にはロンドンでのライブ。すると次には当然、オリジナルの新曲は、となるわけだが、実はこちらもライブの準備と同時進行の形で、少しずつ動き出している。曲の約半数を手掛けるのは、布袋氏を含めた日本の作家たち。そして残りはサイモンを初めとする英国のミュージシャンたちに提供してもらう予定だ。「新しい音楽プロデューサーにもお願いしますが、例えばその人に日本の作家さんの曲を任せてみるとか。あの人の曲をイギリスのこの人に任せたらどんな花が咲くんだろうって、自分自身が一番ワクワクしています。こうしたい、ああしたい、というよりも、やってみたらこうなった、だったらもっとこうしてみたいといったように、オリジナルだからこそ自由にやりたい。蓋を開けてみないと全然分からないけれど、音を楽しむ『音楽』が溢れている国だから、きっと何とかなるんじゃない? って(笑)」。
自分の年齢からすると、今後アルバムは限られた枚数しかつくることができないだろう。好きなことばかりをやってもいられない。だからこそ、楽しまなければもったいないし、庭や日差しに抱かれて「深呼吸ができる」ここロンドンで、心を自由にさせて音楽に取り組んでいきたい。日本とロンドンで何が違うのか、何もかもが違うようにも感じるし、何も違わないこともあるようにも思う。「日本のライブで感じた『何か』が違うという感覚にもつながっているんでしょうが、その『何か』が分からないままでいたい。そこの部分がふくよかさだと思うから。日本だったら、全部に明確な理由がある。でもロンドンでは、うまく理由を説明できないという自由さを味方にして、音と楽しんでいきたいですね」。
日本で目覚めた歌手としての「責任」を胸に抱きつつ、音と戯れる喜びを噛みしめる日々。ロンドンという地で煌めく日差しを浴びつつ循環する自然の中に身を置き、色鮮やかな音を吸収し続ける歌手、今井美樹は、今まさに実りのときを迎えようとしている。
MIKI IMAI New Year Concert
2015年1月23日(金) 19:30£30〜40
Cadogan Hall
5 Sloane Terrace, London SW1X 9DQ
Tel:020 7730 4500(BOX OFFICE)
最寄り駅:Sloane Square
www.cadoganhall.com



在留届は提出しましたか?

































ダブリンを流れるリフィー川(River Liffey)はアイルランド語で「生命の川」を意味し、その名の通り、都市生活の源です。川に架かるダブリン中心部のオコンネル橋(O'Connell Bridge)から、川沿いに西に向かって10分ほど歩き北上すると、緑色の建物が見えてきます。こちらがアイルランドの神話、伝説と民間伝承をテーマとした国立レプラコーン博物館です。
ダブリン有数の大通りであるオコンネル・ストリート(O’Connell
Street)。リフィー川沿いに威風堂々と立つカトリック教徒解放運動の指導者、ダニエル・オコンネルの像から北に向かって2分ほど歩くと、深緑と金で飾られたレトロな時計と「EASON」の文字が目に止まります。
中心部のオコンネル橋から南西に向かって徒歩約25分。この国にキリスト教を広めたという聖パトリックが眠る聖パトリック大聖堂(St Patrick's Cathedral)を過ぎ、「Newmarket」という看板で左折すると、大きな駐車場があります。毎週日曜日、80年代よりこの一角で、ダブリンのCo-op(生協)が主催する日曜マーケットが開かれています。第一日曜日は古着フェア、最終日曜日はフリーマーケットなど、毎週異なるテーマで開催されているのが面白いところです。
タラの丘は、ダブリンから車で北西に40分ほど行ったところにあるミース州ナヴァン(Navan)に位置する丘陵です。ダブリン市内発着の日帰り観光ツアーもあります。
井村先生のプロフィール













今年は晴天が続く見込みと言われている英国の夏。つまり、これから英各地をめぐるには絶好の季節を迎える。
常設・特別展の開催及び展示物の販売を行っているギャラリー。この建物の一部は、1890年代にこの街に駆け落ちし、街の中心に立つ聖メアリー教会で結婚式を挙げたアーティスト同士が暮らした家だったそう。ギャラリーには絵画、彫刻、陶器などが展示されている。
日本語で「岸辺」を意味するストランドの一画に軒を並べるアンティーク店の一つ。どの店も個性豊かな空間づくりをしているが、この店の無造作に置かれた品数の豊富さは圧倒的だ。用途さえよく分からないような不思議なものがたくさん置かれた空間は、まさに異次元の世界。
真っ白な扉を開ければ、白いペンキの容器がいっぱい。「チョーク・ペイント」と呼ばれる滑らかでつやのある特製の白ペンキを使って、各地の廃棄物入りコンテナや蚤の市で見付けた古びた家具を美しく再生させるというビジネスを営んでいる。再生させた家具やペンキなどを購入可。
教会内にある鮮やかなステンド・グラスを眺めたら、入り口近くにある84段の階段を上ることをお勧めする。イングランドの教会で使われているものとしては最古の時計を見た後で、はしごのような細い階段を上って、8つの大きな鐘の保管場所へ。そのさらに上に行けば、街全体を見晴らす展望台に出る。


歴史的建築物を保存する団体ナショナル・トラストが所有する建物。この家を建造させたワイン商人の名字を取って名が付けられた。「ねじの回転」などの名作を残した米国人作家ヘンリー・ジェイムズが暮らした家として知られており、彼はこの家でH・G・ウェルズやジョセフ・コンラッドといった英作家たちとの交遊を深めたという。

聖メアリー教会の目の前にあるカフェ&レストラン。シェイクスピアに匹敵する才能の持ち主と言われたライ出身の劇作家ジョン・フレッチャーの生家であり、黒い梁がむき出しになった天井にティー・カップが吊り下げられているインテリアは一見の価値あり。奥にはテラス席があり、日替わりメニューとなる自家製のスープは美味。
15世紀に建造された建物内にあるパブで、かつては密輸業者たちがたむろしていた。店名は、14世紀後半にこの街を襲撃したフランス人たちが聖メアリー教会の鐘を盗んだという逸話から付けられたもの。地元で生産された食材を調理したサンデー・ローストやタパス、サセックス地域のエール・ビールを提供している。
チョコレート・ミルク・シェイクとホット・チョコレートの専門店。暑い日には、近隣でこの店のシェイクを飲んでいる通行人を絶えず見かけるほどの人気ぶり。シェイク内のチョコレートの含有率に加えて、同じチョコでもダークかホワイトか、各種フルーツのすり下ろしをトッピングするかどうかなどを好みに合わせて選択できる。
17世紀にロンドンで流行したコーヒー・ハウスの雰囲気を再現したカフェ。また「薬局」を意味する店名が示唆する通り、薬箱をインテリアとして活用するなどの趣向が凝らされている。オリジナル・ブレンドのコーヒーやアフタヌーン・ティーで一服するには便利。サンドウィッチやペストリー類も充実している。
13世紀後半に街全体が海の中へと沈んでしまった後に、ときの国王エドワード1世の勅令によって再建されたという街。周囲には、英国の国民的画家であるJ・M・ウィリアム・ターナーが描いた田園風景が広がる。街の中心にひっそりと立つ聖トーマス教会や、かつて砦として使われていたストランド・ゲートなどが見所。
ライの南東側に位置する一帯で、ロンドンから日帰りで行ける範囲では最も美しい海辺の一つとして知られている。イースト・サセックス地域で唯一の砂丘があり、「金の砂」と形容される美しくそして広い砂浜は絶景。ウィンド・サーフィンやカイト・ボーディングなどの水上スポーツはもちろん、砂浜では乗馬なども行われている。



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