テニスの世界4大大会の一つであるウィンブルドン選手権が、6月23日から始まる。昨年はアンディ・マリー選手が英国人として77年ぶりの男子シングルス優勝を飾り、例年以上の注目を集めたこの大会。その華麗な舞台を支える人々に注目した。 (2014年当時の情報です)
世界レベルのボール・ボーイ / ガールを育てています

ボール・ボーイ/ ガール・マネージャー
サラ・ゴールドソンさん
筆記試験、体力測定、技術測定
テニスの試合中、コート上を屈みながら小走りでボールを拾ったり、サーブを打つ選手にボールを渡す少年少女がいますよね。彼らは「ボール・ボーイ/ ガール(BBG)」と呼ばれています。このBBG のトレーニングを行うのが私の仕事です。
BBG は、ウィンブルドン区域内または近郊にある中学校に通う生徒たちから選抜されています。希望者は、まず各学校でオンライン登録を行い、テニスのルールについての指導を受けた後で、試験を受けなければなりません。この試験の合格者が毎年1月にウィンブルドンに集まり、さらなる筆記試験に加えて、反復横跳び、短距離走、スクワットなどの体力測定そして技術測定を行います。技術測定というのは、片手を大きく上げてからボールをワンバウンドさせる投げ方、ボーリングのようなボールの転がし方などを実演してもらうものです。この試験に晴れて合格したBBG が、2月から7月にかけてトレーニングを積むことになります。
大会開始後も選考過程は続く
BBG の応募者数は毎年1000人前後。選抜試験で300人にまで絞り、さらに2月から開始されるトレーニング期間中にそのうちの約半数が落とされるという狭き門です。
選手権が始まると、学校からは特別休暇をもらって、10時に会場入り。6人一組となって、60分プレーして60分休憩というスケジュールをこなします。自分の出番である60分間は一切休憩なし。たとえ選手が休憩中でも、BBGは直立不動の姿勢を保たなければなりません。
大会が始まってからも、選考過程は続きます。最初の9日間は同じ人数で臨みますが、試合数が減少するに伴い、BBG の人数も減っていくからです。落選して、泣いてしまう子も毎年います。
左)ウィンブルドンにある室内練習場で実践練習を行うBGGたち
中央)ボールの転がし方などの細かい動作に対しても厳しい指導が
右)選手のプレー中は直立不動の姿勢を保つことが要求される
集中力と規律が大事
BBGには、集中力、チームワーク、運動能力、緊張への対処能力などが求められます。またタイ・ブレーク(ゲーム数が6-6になった際に採用する得点ルール)においては、両者の総ポイントが6の倍数になったときにコート・チェンジするので、暗算もできないと駄目です。そうした緊迫した場面に対処するためにも、規律を守るよう徹底させています。たくさんの観客を前にして当惑しないよう、どんな状況で何をすべきかを細かく定め、それらのルールを覚え込ませるのです。そうすることで、世界が注目するウィンブルドン選手権のBBGを育てているのです。
美しい芝生を保つコツは、16人で一年中手入れを行うこと

芝管理チーム副主任
グラント・カンティンさん
芝の長さは8ミリで統一

ウィンブルドン選手権の開催に向けて、芝の状態が厳しく管理されているセンター・コート
ウィンブルドン選手権の会場を訪れた観客の誰もが、コートに敷き詰められた芝生の美しさに息を呑みます。ガーデニング愛好家から芝生を美しく保つコツをよく聞かれますが、答えは一つ。毎日手入れを行う、これに尽きます。
ウィンブルドンの会場では、16人のスタッフが一年を通じて芝の管理を行っています。とりわけシングルス決勝などの重要な試合が行われるセンター・コートの管理は厳しい。そのほかのコートは大会が終わればウィンブルドンのクラブ会員にも開放しますが、センター・コートの使用は、選手権の開催期間中のみに限られています。センター・コートでは、大会終了直後に芝をはがしてしまい、土壌を耕してから、新しく種をまいているんですよ。つまり、あの芝は毎年新しく植え替えられているのです。またすべてのコートにおいて芝の長さが決められていて、冬は霜や雪から保護するために13ミリに統一。それから12ミリ、11ミリ……と少しずつ短くしていき、大会の1カ月前から8ミリの長さを維持しています。
選手権開催中は、朝6時半に会場入りです。晴れていれば芝生のカバーを取り、芝を刈ったり、ゴミを取り除いたり、コートに白線を引き直したりします。
カバーを敷くのにかかる時間は20秒
雨が降った際に芝にカバーをかけるのも私たちの仕事です。雨が降りそうなときには、コート付近で待機。2012年はほぼ毎日雨が降ったので、待機しっぱなしでした。雨が降り出せばコート中央のネットを倒し、審判や選手が座る椅子を片付け、カバーを敷くまでを約20秒で完了させます。
センター・コートには2009年から屋根が取り付けられました。晴天の日は屋根を開放し、雨が降り出せば屋根を閉めて、空調機能を稼働させます。屋根を閉めるのに10分、空調機能がきちんと稼働するまでに20~30分。大会期間中は通常は夜10時ごろに仕事を終えますが、午前様になってしまうこともありますね。
芝の状態は毎年全く同じ
昨年の大会では、プレー中の転倒が相次ぎ、「芝が滑りやすくなっているのではないか」と騒がれました。芝の状態については常に確認や検査を行っていて、一昨年も昨年もそして今年も、ボールの転がるスピード、コートの硬さなどすべて同じ。これは自信を持って言えます。ただ大会の序盤は芝が滑りやすい傾向にあるという見方には一理あると思います。というのも、芝の状態を2週間同じ状態に保つことはできないので、決勝に向けて芝を徐々に乾燥させていく方法を取っているからです。だから大会序盤のコートの状態は、最終日ほど固くはありません。
一年を通じて刻々と天気は変わっていきます。気まぐれな英国の天気に対応するというのが、この仕事の一番大変なところでしょうね。
ウィンブルドンは「テニスが観られるガーデン・パーティー」

ウィンブルドン・ローン・テニス・ミュージアム
アシュリー・ジョーンズさん
トロフィーの上にある果物の意味

2013年のウィンブルドン選手権男子シングルス決勝で優勝し、トロフィ ーに口づけするアンディ・マリー。トロフィーの頂上にはパイナップルを模った装飾が施されている
ウィンブルドンの会場内には、テニスや選手権の歴史に関する展示を集めた博物館があります。同館には、大会の優勝者に授与されるトロフィーが展示されているので、お越しの際にはぜひご覧ください。昨年アンディ・マリーに授与された男子シングルスのトロフィーのてっぺんには、パイナップルを模したものが置かれています。「なぜパイナップル?」とよく聞かれるのですが、パイナップルの栽培は非常に難しいので、西洋ではお祝いや歓迎の意を示す際の象徴として使われてきました。ちなみに「女神が持つバラ水の皿」と呼ばれる女子のトロフィーは円盤型になっています。
これらのトロフィーには歴代の優勝者の名前が刻まれていて、毎年ポーランドから招聘した技術師が、優勝者の決定直後に会場内で新王者の名前を彫る作業に勤しんでいます。実は、男子のトロフィーに関しては、優勝者の名前を書くスペースがなくなったために、2009年からトロフィーの下に礎石を付け足して、そこに名前を書くようにしました。女子のトロフィーは、円盤の裏に名前を刻んでいます。
ロンドン五輪の運営者が花々を撤去
私たちにとって、ウィンブルドン選手権とは「テニスが観られるガーデン・パーティー」。観客の皆様には、スポーツの祭典としてだけではなく、社交行事としても楽しんでいただきたい。実際に会場を訪れれば、独特の華麗な雰囲気を楽しんでいただけるはずです。それと対照的なのが、同じ会場で開催された、2012年のロンドン五輪におけるテニス競技。ロンドン五輪の運営者は、ガーデン・パーティーのような雰囲気は一切望んでいませんでした。だから彼らは、会場を彩る鮮やかな花々をすべて撤去してしまったのですよ!
ウィンブルドン選手権ならではの華麗な雰囲気を象徴しているのが、王室メンバーや首相、さらにはハリウッド俳優などの著名人たちを招待するロイヤル・ボックスでしょう。ほかの招待客と何かしら共通点を持ち、社交を楽しんでいただける方を選んで招待しています。決勝の試合開始は通常午後1時ですが、招待客には午前9時に入場してもらい、モーニング・コーヒー、ランチ前のシャンパン、アフタヌーン・ティー、ウィンブルドン名物のいちごなどとともに歓談を楽しんでもらっているのです。
いちごを食べながらのガーデン・パーティー
先ほどウィンブルドンは社交行事であると言いましたが、別に堅苦しいものではありません。半ズボンやビーチ・サンダルでいらしていただいて構わないのです。好天に恵まれた夏の日に、シャンパンやいちごを手にしながら、友人とおしゃべりを楽しむガーデン・パーティー。ふと気付けば、目の前では世界最高レベルのテニスの試合が繰り広げられている。そんな素敵な空間こそが、ウィンブルドンなのです。



在留届は提出しましたか?




















今回参加したのは、ストラトフォード・アポン・エイボン近郊で約15年にわたりナロー・ボート運営をしているというアンディーさん、淳子さんのブラウン夫妻が経営を行う「Narrowboat Guide」。ときに河岸を散歩し、ときにお2人からナロー・ボートの歴史や面白エピソードをうかがいつつ紅茶やコーヒーを味わう船旅は、のんびりゆったりしているのにあっという間に時間が過ぎてしまう。街の観光と併せてショート・クルーズを楽しむも良し、宿泊コースで地元のパブの夕食を楽しみながら船上で一夜を過ごすも良し。古き良きイングランドの水辺の生活を、ここストラトフォード・アポン・エイボンで垣間見てみては?








ウィリアム・シェイクスピアは1564年4月23日、イングランド中部ウォーリックシャーに位置するストラトフォード・アポン・エイボンでその生を受けた(*1)。父のジョンは皮手袋職人で、羊毛取引などで財を成し、後には町長にまで登り詰めた地元の名士、母のメアリー・アーデンは、ジェントリー(紳士階級)出身。恵まれた環境で育ったものの、父親はシェイクスピアが10代前半のころ、地位も財産も失ってしまう。1582年には18歳で近隣の村ショッタリーにある農家の娘で8歳年上のアン・ハサウェイと結婚。3人の子供に恵まれたが、20歳のときに突如姿を消し、数年後にはロンドンの劇壇で活躍するようになる。


エイボン川を臨み、街を睥睨(へいげい)するレンガ造りの堂々たる建物は、英国が誇る劇団ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが拠点にしている劇場。大・中・小の劇場を抱え、シェイクスピア作品はもちろん、現在はロンドンで上演中の「マチルダ」など子供向けのミュージカルなども制作している。観客の目と鼻の先で役者が演技を繰り広げ、ときに観客に語り掛けることもある張り出し舞台は迫力満点だ。
現在上演中の芝居の大道具もそのままの舞台裏から客席、最高責任者が使用するコントロール・ルームに至るまで、劇場の隅から隅まで見ることのできる人気のツアー。芝居で使う血液や、役者の驚くべき早替えの秘密など、シェイクスピア・ファンでなくても満足できる充実の内容だ。
劇場上部に位置し、界隈を一望できるブリティッシュ料理レストラン。美しい盛り付けの料理の数々に舌鼓を打った後に芝居を観れば、身も心も満足できるはず。なお、壁の上部に3脚の椅子が貼り付けられているのが目につくが、これは改築前の劇場の客席をそのままの位置で残しているのだとか。
街のシンボル的存在であるこの建物内でシェイクスピアは生まれ、結婚後数年して引っ越しをするまでの年月を過ごした。隣接するシェイクスピア・センターで世界各国のシェイクスピア関連書物やアートを観てから家の内部へ。庭では当時の衣装に身を包んだ役者たちが即興劇を繰り広げている。ときには観客も参加して、家の2階と庭で「ロミオとジュリエット」の一場面を演じることも。
シェイクスピアの妻であったアン・ハサウェイの生家。こんもりと曲線を描いた茅葺屋根にハーフティンバーの壁面がチャーミングな家と広々としたガーデンが、牧歌的な風景をつくり上げている。花々が咲き誇るガーデンには、柳の小屋や、現代的な彫刻の数々も。シェイクスピアにヒントを得て作曲されたという音楽を聴きながら*、遊歩道をゆっくり散策してみよう。
シェイクスピアの長女スザンナは1607年、地元在住の医師ジョン・ホールと結婚した。医者の家だけあって、内部には診察室があるのに加え、調薬器具、医療書などのユニークな展示物も。静けさに満ち、整然としたガーデンには、当時は治療にも利用されていたというハーブなどが植えられている。
シェイクスピアが通ったとされるこの学校は、1295年創立の教育施設をエドワード6世が16世紀に再設立したものなのだそう。ブレザー服姿の生徒たちが闊歩し、バンドの音楽が鳴り響く校舎は、外から見る限りほかの学校と何ら変わりないが、シェイクスピアが学んだという教室(ビッグ・スクール)は、当時の面影そのまま。ごく限られた期間のみ一般公開され、現役の生徒のガイドで見学することが可能。
ナッシュの家は、シェイクスピアの孫、エリザベスが最初の夫、
トマス・ナッシュとともに住んだ家。ニュー・プレイスはシェイクスピアが晩年を過ごした家だが、18世紀に当時の持ち主が観光客の多さに辟易して取り壊してしまったため、現在見学できるのは低木を結び目のように交錯させたノット・ガーデンと、戯曲をモチーフにした彫刻が置かれたガーデンのみ。彫刻の裏側には台詞の一部が彫られているのが興味深い。

16世紀に建造された建物を利用した、地元民にも人気の高い落ち着いた雰囲気のレストラン。観劇前にはセット・メニューがお勧め。味もプレゼンテーションも抜群の料理をお手頃価格でいただける。
真紅の壁とシャンデリア、アンティーク家具が絶妙に溶け合ったこの店は、近年オープンしたばかりだが、既に地元では味の良いレストランとして名を馳せている。鮮やかな赤がまぶしいビートルートのリゾットなど、料理にもセンスの良さが感じられる。
City Sightseeing Stratford Upon Avon






日照時間が延びるこれからの季節、英国を飛び出して、
19世紀まで、貿易の中心地として栄えたマルセイユ。旧港の南の丘、147.85メートルの高台にノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院(Notre-Dame de la Garde)はそびえる。現在の寺院は19世紀に建築家エスペランデュによって建てられたものだが、歴史をたどれば基となった寺院は、1214年に丘の上に建てられていた。今年、誕生から800年を迎える。寺院の上には黄金に輝く9.72メートル、重さ約1トンの聖母マリア像が町を見下ろすように立っている。この黄金に輝く聖母マリアは「ボンヌ・メール(良き母)」と呼ばれ、これまで漁を、町を、そして住民を見守ってきた。内部のモザイク装飾は圧巻。内部には天井から幾つもの船がつる下げられていたり、海にまつわる絵画などが飾られていたりと、漁や平癒に対する感謝の気持ちから納められた奉納品が飾られている。ここから見るマルセイユは絶景。市内から徒歩で来るには、かなりの坂道を登ることになるので、バスが便利。
20世紀最大の建築家と言われるル・コルビュジエが建てた巨大な集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」。中でも一番初めに建てられたマルセイユのユニテ・ダビタシオンは、今日でも世界中の人を魅了している。
マルセイユのせっけんは、植物性のオイルと苛性ソーダを混ぜたもの。ルイ14世の時代の1688年10月5日、財務総監を務めていたジャンバティスト・コルベールにより、原料の油脂はオリーブ・オイルにすることなど、マルセイユのせっけん作りの製法が定められた。現在でも伝統的な方法で作られているマルセイユせっけんは、72%の植物オイルを含んでおり、かま炊きけん化法で植物オイルとソーダを煮詰め、その後、塩水で不純物を取り除くなど、約80時間の行程を経て生み出されている。



マルセイユのアペリティフとして欠かせないのが、マルセイユ生まれのアルコール、「パスティス(Pastis)」だ。パスティスの前身とも言われるのが、19 世紀、フランスの芸術家たちを魅了したアルコール「アブサン」。強い陶酔感と興奮をもたらすアブサンは、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、ロートレック、ランボー、ボードレールなど、フランスにいた多くの芸術家を魅了した魔のお酒と言われている。しかし20 世紀に入りアブサンの製造が禁止され、その代わりにポール・リカールがアブサンの製法を改良して作ったのがパスティスだった。スターアニスやフェンネル、リコリスの香辛料が強いため、スーッとした後味が爽快感を与える。ちなみに「Pastis de Marseille(マルセイユのパスティス)」と表記するためには、アルコール度が45% 以上で1リットル当たり、2 グラム以上のアネトール(アニスの主成分)が含まれていなければならない。パスティスは水割りで飲むのが一般的で、水を入れると白く濁るのが特徴。慣れてきたらカクテルにも挑戦しよう。有名どころでは、グレナデン・シロップ(sirop de grenadine)を加えたLa tomate、ミントのシロップ(sirop de menthe)を加えたLe perroquet など。
ロンドンからマルセイユまでは飛行機の直行便を利用するのが便利。ロンドンの各空港からマルセイユ・プロヴァンス空港までは格安航空便も飛んでおり、約2時間で到着する。同空港から市内までは、シャトル・バスでマルセイユ・サン・シャルル(Marseille-Saint-Charles)駅まで約30分、またはタクシー。


自身の離婚問題を理由にカトリック教会から離脱したヘンリー8世。彼の4番目の妻であるアン・オブ・クレーヴズに離婚条件の一つとして与えられたのが、この木造の邸宅だった。だがアン元王妃自身がこの家を訪れたことはなかったという。チューダー朝の様式を忠実に再現した庭園には独特の風情がある。16~18世紀にかけてイングランド南東部で盛んだったという製鉄の技術に関する展示も充実している。
万有引力を発見した科学者アイザック・ニュートンの先祖が所有していた邸宅とその広大な庭が、現在では一般開放されている。ガーデンの中心部には小川が流れ、廃墟のような囲いに仕切られた芝生の上には水仙やダリアが眩しいほどに咲き誇る。ランチを食べたり、お昼寝休憩をしたりするには絶好のスポット。
毎週数千人単位が訪れるという蚤の市。翼を付けた女性の姿が彫られた戦没者記念碑の近くにある、かつて教会として使われていた建物の中で毎日開かれている。各種の家具を中心に、動物の剥製、アール・デコの置き時計をはじめとする骨董品が並ぶ。思わず悲鳴や笑い声を上げてしまうような変わり種の掘り出し物にもきっと出会えるはず。
それぞれパティシエとディスプレー・アーティストとして働いていた2人が立ち上げたヴィンテージ・ショップ。アンティークなのになぜか最先端の流行を押さえていると感じさせるようなセンスある商品ばかりが並ぶ。経営者の2人は小型トラックに乗って欧州各地の蚤の市を1年中周っていて、「こんなアンティークを探している」という買い付けの要望にも応じてくれる。
第一次世界大戦中には注射針を製造する工場が置かれていたという敷地を転用した複合施設。ハンドメイドのジュエリー、ヴィンテージ服、手芸品などをそろえたショップ、ギャラリーに加えてカフェも併設している。レンガの壁、地下にある井戸、そして色鮮やかな雑貨の数々に彩られた店内にいると、童話の世界に紛れ込んでしまったかのような感覚を覚える。
手前にインテリアやキッチン用品、店の奥にガーデニング用のアンティーク製品を配置している。カフェやレストランが多数並ぶ通りの入り口に位置しているので、アンティークにあまり興味のない同伴者を近くで休憩させたりする際には好都合。
ルイスの地ビールとして有名なハーヴェイズのビール醸造所に隣接したショップ。創業してから200年以上の歴史を誇る家族経営のブランドで、当代は8代目。醸造所の見学ツアーの予約が2年先まで埋まっているという信じられないほどの人気ぶりを見せている。ショップではハーヴェイズが製造する各種ビールを購入することができるほか、同社が販売を手掛けるワインや蒸留酒もそろえている。
その名の通り、15世紀に建造されたという建物の中にある古書店。児童書や挿絵付きの本を多く取り扱っている。同店の入り口から延びていく小石が敷き詰められた小道の風景と、頭を屈めなければ入ることができないほどの低い天井、そして店内に並んだメルヘンチックな本の数々が非日常体験を与えてくれる。
陶器の里として知られるポーランド南西部ボレスワヴィエツから取り寄せた陶器を扱う店。深みのある紺色を使ったデザインは、目に安らぎを与えるような温かな美しさを醸し出している。バター入れやソース差しまでかなり多種の商品をそろえているので、英国の食卓を飾るアイテムが見つかること間違いなし。併設カフェでは、それらの陶器を使ってピエロギやビゴスといったポーランドの伝統料理が供されるという贅沢なおもてなしをしてくれる。
ロンドンをはじめとする英国各地で見かけるレストラン・チェーン「ビルズ」の第1号店。最初は果物や野菜を販売する屋台としてスタートしたが、2000年に発生した洪水の被害で営業停止に。翌年にレストランとして開業したところ大ヒットし、全国展開するに至った。気軽なカフェ・スタイルで朝食からディナーまで楽しむことができる。
ウーズ川を渡る橋の付近にあるカフェ兼レストラン。シチューやパスタといった定番メニューに加えて用意される「本日のお勧め」はいつも美味。テイクアウェイもできて、ほかの多くの独立系店が閉業となる日曜日でも営業しているのがうれしい。
1605年にカトリック教徒の過激派によるロンドンの国会議事堂を舞台としたテロ未遂事件が発生。以来、11月初旬に平和を願って花火を打ち上げたり、実行犯の一人であるガイ・フォークスを模った藁人形を燃やしたりする習慣が定着した。ルイスは毎年、英国内で最大規模のガイ・フォークス・ナイトを開催。プロテスタント色の強い地域であることや、ルイスの戦いで諸侯が王に勝利したことから民主主義を脅かすテロ事件への強い反発が生まれたなど、ルイスがこのイベントを盛大に祝うようになった理由については諸説ある。














































